ポルポトの政権の終わりとは?子供医者やドキュメンタリー(映画)、最期や死因について…ポルポト派の狂気、崩壊と現在、ポルポトの娘など子供…カンボジアのポルポト政権とは…映画も紹介


 

ポルポト政権によって引き起こされたカンボジアでの大虐殺

ナチスドイツと同じような残虐で悲惨な出来事だった。

 

 

今回はポルポトに着目して、彼が行った政権が周囲にどのように

影響していたのかなどを詳しく考察していく。

 

 

 

ポルポト政権の終わりとポルポトの最後(最期と死因)、子供(ポルポトの娘)について。大虐殺と崩壊…ポルポトとは、ポルポト政権とは、ポルポト派とは何だったのか?ポルポトの狂気

 

ポルポトによる大虐殺の内容は、彼の独裁政治により、300万人近くの

カンボジア人が飢餓や処刑、病気、過労などによって命を落とした。

 

ポルポトの大虐殺で命を落とした人数は推定数となっているのだが、

現在最も正しいと言われる推計では、167万から187万人と考えられている。

 

 

ポルポトの大虐殺の理由は、原始共産主義社会を目指していたから。

病院や学校、お金や恋愛、家族までをすべて排除した世界を目指した。

 

ポルポトの大虐殺では階級の高い知識人や大都市住民、

ベトナム人や宗教指導者などが標的になった。

 

 

また、ポルポトは大虐殺のターゲットとして医師や先生などの

知識人を真っ先に選んで、とにかく数を減らそうとした。

理由は彼らが反対勢力となることを恐れたから。

 

ポルポト派の虐殺により、知識人以外にも「眼鏡をかけている

「旧貨幣を持っていた」「英語を話した」などといった理由だけで

殺されてしまい、ポルポト派の大虐殺はどんどんエスカレートしていった。

 

 

ポルポト政権の最後は、1979年に首都プノンペンが陥落した時で、

反ポルポト派の「カンプチア救国民族統一戦線」とベトナム軍の

侵攻によって、政権の崩壊へと繋がった。

 

歴史家の中には、ポルポト政権の行いは歴史上最悪かつ野蛮で残忍な

行いだったと主張する人物もいるほど。

 

感情を持つことさえ許されない社会」を築き上げるために、

悪い思想に染まっていない子供たちを社会の中心にするという卑劣さ。

 

実際に病院でも、全く医学の知識を持たない子供が手術を行うなど、

今では本当に信じられない出来事が起こっていたのだ。

 

 

ポルポトの大虐殺の2chでは、「胸糞悪い」「眼鏡かけてるだけで殺される」

「ベトナム軍が進軍しなかったら全員死んでた」などのコメントが多数ある。

 

確かに、もし本当にベトナム軍や反ポルポト派たちが進軍しなかったら、

どうなっていたのだろうかと思うと、とても恐ろしくなってくる。

 

 

このポルポトによる大虐殺を研究するにあたり、中国との関係を理解する必要がある。

当時、中国は食料と農具を送っていたが、実際はポル・ポト派の狂気の歯車に

拍車をかけていたのではないだろうか。

 

 

ポルポトは1998年4月15日にこの世を去った。

ポルポトの死因は睡眠中に起こした心不全。

彼が72歳の時だった。

 

ポルポトの娘はサル・パチャタという人物で、2014年に結婚、

米農家として働いているとのこと。

 

 

ポルポトによる虐殺の画像はネット上でも見られるが、

今は博物館となっている「トゥールスレン刑務所」を訪れると

実際の拷問場所まで見学することができる。

 

もし行くのであれば、

ある程度の覚悟と心構えをしておくことをおすすめしたい。

 

 

 

東南アジアに住んで生活費を抑えつつ、

日本円の安定収入を得る方法とは?

 

 

ポルポト派の現在…ポルポトの墓はどこに?メガネなどなんJのまとめも参照

 

ポルポトの墓はタイ国境の町アンロンベンにある。

墓があるものの、誰も手を合わせる人はいない。

 

 

大虐殺の主導者ポルポトの現在は国の人たちから恨まれ続け、

今もなお大虐殺に対する抗議や問題が続いている。

 

当時のカンボジアではポルポトの愚民対策の邪魔になることを理由に、

眼鏡をかけているものは知識人だとして殺された。

 

 

ポルポト政権と今は、当時のような権力を失ってはいるものの、

虐殺や強制結婚などといった過去の問題が今もなお根強く残っている。

 

ポルポト派の残党による内戦は今でも続いており、

ポルポトの影響力は計り知れないものと言える。

 

 

ポルポト派の2元幹部終身刑判決が下された時は話題になったが、

この時に開かれた特別法廷ではポルポト政権の闇の実態が明らかになった。

 

虐殺や強制結婚を指示した当時の加害者と被害者が、

同じ村で生活しているのが今のカンボジアの現状で、

 

特別法廷に出席した被害者が村にいづらくなるなど

様々な問題点を抱えている。

 

 

ポルポト政権のまとめでは、当時の被虐で残酷な様子が書かれているが、

これが本当に数十年前の出来事だったとは想像ができない。

 

カンボジアのポルポトまとめや、なんJなどではポルポトの悪口などが

多く目立つ一方で、「やっていることはハチャメチャだけど信念は強い

などといったコメントもあるのが興味深い。

 

ポルポト政権のアニヲタwikiでは、ポルポトの人物像や彼が目指した

原始共産主義の偽りに関しても詳しく書かれている。

 

 

ポルポトの実家は確かに農家ではあったが、

彼は自ら一度も農具を握ったことがなかったのだ。

 

 

 

カンボジアのポルポトと子供医者…ドキュメンタリーの映画を紹介

 

ポルポト政権について知りたい場合や、

ポルポトとベトナムの関係を学びたいなら

映画作品を観ることをおすすめする。

 

ポルポトやカンボジアを題材とした映画作品は、

過去に日本でも映画館で公開されており、

現在はDVDなどで観ることができる。

 

 

おすすめの映画はカンボジア内戦の実話を元に制作された

ドキュメンタリー映画の「キリング・フィールド」。

 

物語は内戦取材のためにカンボジアを訪れたシャンバーグ氏

通訳がいきなり拘束されるシーンから始まる。

 

 

日本の映画作品で有名なのが「地雷を踏んだらサヨウナラ」。

 

報道写真家の一ノ瀬泰造の実話を元に制作された。

この映画ではポルポト政権や内戦の様子がリアルに伝わってくる。

 

 

過去にカンボジアは、ポル・ポトや内戦のせいで映画文化が廃れてしまったが、

現在では次々と映画館が建設されていて復興を遂げてきている。

 

カンボジアの首都プノンペンには「レジェンドシネマ」や「メジャーシネマ」などの

映画館が存在する。カンボジアでは映画の上映前に国家が流れるのが特徴的。

 

 

ポルポトが残した名言には「たとえ親であっても社会の毒と思えば微笑んで殺せ。」

「知識人は邪魔。無知で貧乏で純粋な農民が最も改造しやすい。」

「腐ったリンゴは、箱ごと捨てろ。」などがある。

 

 

ポルポト政権において、なぜこれほどまでに知識を有する人物

虐殺したのかには理由がある。

 

ポルポト政権は知識人を虐殺することで伝統的な文化を崩壊しようと考えた。

そのため、ポルポト政権は英語ができる人物や眼鏡をかけているだけでも

処刑のターゲットとして次々と虐殺していった。

 

処刑を行っていたのは、ポルポトによって洗脳された「子供医者」だった。

 

 

 

まとめ

 

ポルポトの大量虐殺により多くのかけがえのない血が流れた。

 

逆らうものは当然殺されて、ポルポトから逃れようとしたり

少しでもコソコソとしていたら密告者として殺された。

 

今では考えられないような出来事がつい数十年前に起きていた。

今の自分たちにできることは、大量虐殺から目を背けるのではなく

同じような出来事を二度と繰り返さないようにきちんと向き合うことだ。

 

 

 

先日のプノンペンで一緒に飲んで盛り上がったのは、

自分と同じ太った日本猫が好きな(笑)マイルスだ。

 

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