ルワンダ大虐殺については、名称として有名でも
詳細についてあまりよく分かっていない人が多い。
そこでこの記事では、ポルポトの虐殺と共に
あまりに凄惨なルワンダ大虐殺について紹介しよう。
ルワンダ大虐殺とは?あまりに悲惨な歴史
ルワンダ大虐殺とは、
1994年にルワンダで発生した民族の抹殺を目的とした“ジェノサイド”である。
概要としては、フツ族がツチ族を大量虐殺したものだが、
この事件の発端はかなり昔までさかのぼり、
政治的な思惑も複雑に絡み合っているので一口で説明をすることは難しい。
もともとは違いがほとんど認識されていなかった人々を、
当時ルワンダを支配していたヨーロッパ人がフツ族とツチ族に区分し、
宗主国になったベルギーによって
完全に異なる民族として固定されてしまったことが背景になる。
ベルギーはフツ族を優遇し、徐々に対立が生じ始める。
フツ族は“ルワンダの経済衰退はツチ族のせいだ”と言い
ツチ族は“フツ族主体による政治はツチ族の民意を反映してない”と訴えた。
そうしてルワンダで内戦が始まり、
そんな中で当時ルワンダの大統領していたジュベナール・マヒャリマナ(フツ族)と
隣国の大統領ブルンジのシプリアン・ンタリャミラ(フツ)が事故に遭い死亡。
この事件の実行者と首謀者は不明のままだったが、
この事件が引き金となりフツ族によるツチ族の大虐殺が始まった。
フツ族は当然ツチ族の仕業だと思ったからだ。
フツ族による殺害はただ命を奪うだけでなく、
切れ味の悪い刃物で手や足を切り落とすなどの残酷な虐殺や、
女性は性的な暴力を加えたうえで殺害されたりもした。
子供も関係なく大人と同じように虐殺されたのだ。
犠牲者は50万人~100万人にもなる本当に悲惨なものだったのだ。
簡単に言ってしまえば民族間の争いから発展したルワンダ大虐殺だが、
その原因は複雑であり、
現在でも「誰が真の犯人なのか」について議論が絶えない事件だ。
ルワンダ大虐殺の画像をブログで紹介…閲覧に注意。記念館はどんなもの?
結局のところルワンダ大虐殺は、
ルワンダという国、旧ルワンダ軍(far)や国防省といった政府、
ベルギーなどのヨーロッパの国など、複雑に絡み合って起こった事件。
いまだにこのルワンダ大虐殺は、
何が真相だったのか論文が書かれているくらいなのだ。
もう25年も経つこの事件。
このルワンダ大虐殺を忘れないために
ルワンダの国内各地に記念館が建っている。
首都キガリにある最大規模の記念館では、犠牲になった人々の写真や遺品、
頭蓋骨など様々なものが展示され、被害の悲惨さを伝えている。
それだけでなく、フツ族とツチ族が共存していた平和な時代の様子から、
ベルギーがツチ族を重用した植民地時代の様子、
ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送など、大虐殺に至った背景も伝えている。
この大虐殺は、何百年も前の話ではない。
記録に残る写真もカラーであり、動画もあるほどの最近の出来事なのだ。
川添友幸さんの書く「残虐な人権侵害-消して見逃さない」
(http://blog.livedoor.jp/taisa1978/archives/1689086.html)や
Hkenedyさんの「HKennedyの見た世界」
(http://hkennedy.hatenablog.com/entry/2016/03/08/065936)などブログでも
当時の残虐な画像を、見れてしまうくらい最近の出来事なのだ。
最近ではあるが、25年は長い。
現在、ルワンダでは2010年以降7~8%の実質経済成長率を示し
「アフリカの奇跡」とも呼ばれる復興を遂げている。
アフリカで一番安全な場所は?と聞くとルワンダと答えが返ってくるほどだ。
ルワンダ大虐殺。
平和であるために忘れてはいけない事件だろう。
まとめ
こうした大虐殺は、ここだけで起きているものではない。
世界中のいたるところにある話だ。
私は友人が偶然ルワンダに行ったから、
そういえば…と思って少し調べただけなのである。
平和な日本。
当たり前じゃないと思っておきたい。
数年前、自分と同じマザコンの友人(笑)
タケルが突然ルワンダに行った。
青年海外協力隊でだったと思う。
あまりに突然で、彼が何をしに行ったのかよくわからなかったし、
どんな活動であったかもよくわからなかった…が、
彼のSNSで「象が逃げました」と、
象を追いかけているであろう写真が載っていたのは衝撃だった。
ルワンダと言うとどうしても「ルワンダ大虐殺」のイメージが強い。
象が逃げた!と楽しそうに報告してる事がどうしてもイメージとつながらなかった。
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