両親の望んだ人生のレールからバコン!と外れた僕の、新倉に住んでいた頃の二十歳当時の価値観はこうです。
お金=欲しい
金持ち=いやな人
僕の望む人生=清く正しく
清く正しい≠いやな人
僕の望む人生≠金持ち
つまり、お金持ちにはなりたいけれど、金持ちは父親みたいに嫌なやつなので、清く正しくありたい自分では不可能。
自分の体験では、お金はドカンとあれば嬉しいし、使うとキラキラとても幸せな気分だった。
でも当時の僕の価値観ではあまり清らかなものではなかった。
いろんなことでお金を嫌い、バシッと遠ざけていました。
そういえば、荒川とか戸田の辺りを目的もなくぶらついていましたね。
特に美女木の辺りをフラフラと、肩を落として内股でね。
金はわざと大事にしていなかったし、お金にとらわれていないふりをするのが好きだった。
わざとポケットにくしゃくしゃに入れていたし、札の向きを揃える人が嫌いだった。
でもいつも足りなかったし、買えないものやできないことからクルッと目をそむけていた。
ビジネスを始めるとき、これなら人をだますことなく、清く正しくやっていればバコンとお金が入る、と思いました。
でも今は少し違う理解を手に入れました。
お金は人を選んで集まってるわけじゃない。
すべては、人がどう思っているかが実現してるだけ。
極端に言えば、性格が悪かろうと、行いが悪かろうと、お金が欲しいと集中している人のところにはお金は集まります。
僕みたいに、お金は欲しいけど、お金は人を狂わせるとか、悪いことをしないと手に入らない、とか思っていた人が、狂いたくなく、悪いこともしたくないときはお金は手に入らない。
お金が欲しければ、「お金は、お金が大好きで清く正しい人にバンバン集まってきて、居心地よくずっととどまる。」
と、自分の中で矛盾しない、一貫した考え方に変えればいいんですね。
言葉だけでなく、心の底からバシッと理解することが必要です。
自分の体験や経験と、自分の価値観が一致しにくいものはたくさんあります。
男女のセクシュアリティーもそうですね。
自分の経験の中では、恋愛感情や性的な体験は、ワクワクドキドキ、胸踊り、心ときめく素晴らしいものですが、そんな感情が芽生える思春期にはタブーであったり、まだ早いとか、我慢することだったりします。
なんか、今ジェーンを思い出しました。(笑)
大人になっても社会のルールは自分の感情と少しずれている、あるいは社会的(経済や体裁)に最善なはずの結婚は自分の感情に喜びをもたらさない。
誰もが戦争はしたくないのに、国や社会は戦争も仕方がないと評価する。
競争したり人を蹴落としたくないのに、小さなころから成績の勝ち負けが付きまとう。
まとまりがなくなりましたが、男磨きの方法を知ったら、日本を脱出して海外へ!ということです。(笑)
親に感謝できない若い頃を過ごした僕でも白人の彼女ができましたし、仕事のできる人の特徴をドカンと手にできたんですからね。
日本では宗教が自由なので必然的に価値観が途方もなく広がり過ぎていると感じます。ある程度は一貫していなければ国としてあまり統一されないのではないかと感じています。私自身は仏教や神教、キリスト教から学んでいますがもっとほかの人も学んで欲しいですね。