イースター島を旅するなら 謎に包まれた島の悲劇の歴史を知る


 

自分も歴史やミステリーが好きなので、

ミステリアスな場所に惹かれてしまうのだが・・・

そんなあなたにオススメなのが、「イースター島」。

 

 

太平洋に浮かぶチリ領の島で、

周りに島らしい島もない、まさに絶海の孤島である。

 

そう、テレビで一度は見たことあるであろう、

「モアイ像」のある、あの島である。

 

ただ、モアイ像は知っていても、

イースター島のことは

知らない人も多いのではないだろうか。

 

今回は、謎と悲劇の歴史に彩られた、

イースター島の魅力に迫って行こうと思う。

 

 

イースター島の見どころを紹介!気候や宿泊、移動手段は?

 

 

イースター島は、

南米の国、チリの領土で、

国立公園で、世界遺産である。

 

 

しかもチリ本土から遠く離れた太平洋上に位置する。

 

日本からの直行便は、

イースター島どころか、

チリの首都、サンティアゴにすらない。

 

 

イースター島に行くには、

フランス領のタヒチから経由していくか、

アメリカのロサンゼルスを経由して向かうかの二通りの方法がある。

 

タヒチ経由で行く方法は、

そもそもタヒチへの直行便が少なく、

さらにタヒチからイースター島への直行便は週一本しかない。

 

ロサンゼルス経由の方法では約2日間もかかってしまう。

 

日本からどころかチリからすらアクセスがいいとは言えないが、

人を惹きつける魅力がある島。

 

イースター島に訪れる外国人は、

日本人が多いらしい。

 

 

そんなイースター島の代名詞ともいえる名物、

それが「モアイ像」である。

 

モアイ像は建て方に法則性があり、

大抵のモアイは海に面する「アフ」という高台に、

海に背を向けて、かつての住居跡を取り囲むように建てられている。

 

建設中に放置されたものを含めて900体ほどが残っているが、

現在アフに建っているモアイは、

 

大体が近代以降に復元されたものであるが、

太古からの遺跡だと勘違いしている人も多い。

 

 

そのモアイ、名前の由来はおろか、

何のために建てられたのか全くわかっていない謎の多い遺跡である。

 

最近は、現地人の墓石ではないか

という説が有力視されている。

 

 

ただ、モアイ像をただ見るだけでは勿体ない。

詳しい見どころや島の環境を紹介していこう。

 

 

イースター島は、海洋性亜熱帯気候に属し、

年間の平均気温は20.7度。

 

湿度は77%と温暖で湿度が高いのが特徴である。

要するに、一年中観光が楽しめる。

 

しかも、日没も20時頃と、

一日中観光を楽しめる場所である。

 

ただ、島全体が国立公園なので、

入場料を取られる。

 

 

島には、4000人程が住んでいる村が一つだけある。

 

ハンガ・ロア村と呼ばれるその村には、

観光客向けのホテルや土産物屋、観光案内所、レストランなど

ある程度の施設は揃っており、島民の暮らしも至って現代的である。

 

 

島の観光には、

乗り合いバスやタクシーもあるが、

村でレンタカーを借りるのがオススメである。

 

舗装されていない道もあるので、

四輪駆動車を借りるといい。

 

 

また、日本語のパンフレットが置いてはあるものの、

立ち入り禁止区域があったり、

 

どこに何があるかわからなくなりがちなので、

ガイド付きツアーがオススメである。

 

 

そして見どころであるが、

主要な名所は大体がモアイ像絡みである。

 

 

モアイの製造工場である「ラノ・ララク」では、

作りかけだったり、

運び出す途中だったりするモアイが400体ほど見られる。

 

 

イースター島の中心部に位置するのは、

「アフ・アキビ」と呼ばれる、七体のモアイ像が建つ祭壇で、

島で唯一、海の方を向いて建っているモアイ像である。

 

 

春分の日、秋分の日には、

モアイ像が見つめる先の海に太陽が沈む絶景が見られる。

 

海とモアイ像のツーショットが楽しみたい人は、

島の東端にある15体のモアイ像、

「アフ・トンガリキ」がオススメである。

 

島最大級の巨大なモアイ像の中には、

一つだけ帽子をかぶっているものがあり、

可愛らしい。

 

 

村から歩いて15分くらいの場所には、

島唯一の「目」を持つモアイ像「アフ・タハイ」があり、

ここはモアイを背に夕日が沈むのを見られる。

 

 

イースター島で自然を満喫!世界遺産の国立公園はどんなとこ?

 

 

前述のように、イースター島は、

島全体が、「ラパ・ヌイ国立公園」として保護されており、

さらに世界遺産である。

 

保護される理由としては、

モアイ像などの謎めいた遺跡はもちろん、

美しい自然が残っているからでもある。

 

ここでは、

イースター島の自然について紹介していこう。

 

 

イースター島は火山島である。

 

よって、島には火山があるのだが、

この火山、イースター島の誇る絶景スポットである。

 

 

「ラノ・カウ山」と呼ばれるその山には、

神秘的なカルデラ湖があり、

また、山頂からは海を見渡すことができる。

 

空と山と湖と海、美しいコントラストを体験できる。

 

 

自然の神秘を感じることのできるスポットはもう一つある。

 

「テ・ピト・クラ」である。

 

 

「地球のへそ」と呼ばれるこの場所には、

磁気を帯びた不思議な丸い石があり、

これには不思議なパワーが秘められていると言われている。

 

石におでこをあてるとパワーをもらえると噂されており、

観光客に人気のスポットである。

 

ハンガ・ロア村の近くには、

「プナパウ」と呼ばれる小高い丘があり、

モアイの帽子製造所であると同時に見晴らしのいいスポットである。

 

 

また、先ほど紹介した「ラノ・ララク」も、

山の斜面にあり、ここも見晴らしのいい絶景スポットである。

 

 

 

小細工が大嫌いなあなたへ。

 

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イースター島の悲劇!子供たちはその時…孤島に起きた悲しい歴史

 

 

 

 

謎とロマンに満ちたイースター島であるが、

実は、悲劇に彩られた歴史を持つ島でもある。

 

 

イースター島に人が住み始めたのは、

4~5世紀頃だと言われている。

 

 

ポリネシアからはるばる移住してきた人々が

イースター島を訪れたとき、

イースター島はなんと、木に覆われたジャングルであった。

 

イースター島と言えば、

荒涼とした草原をイメージする人がほとんどだろう。

 

自分も、イースター島の過去の姿を知ったときは驚いた。

 

 

では、なぜ、

今の様な姿になってしまったのか。

 

 

そこには、悲しい歴史がある。

 

イースター島は、

周りに島が無く、孤立した環境であったために、

住民たちの生活を脅かす外敵はいなかった。

 

そんな安全な空間の中、

ポリネシア人たちは、

一人の酋長を中心に一つの部族として生活を始めた。

 

人口はどんどん増え、

代を重ねるごとに有力者が分家し部族の数も増えて行った。

 

島の至る所に、

それぞれの部族の集落ができた。

 

 

さらに、島に溢れかえっていたのは、

加工しやすい軟らかな凝灰岩。

 

人々は凝灰岩からモアイを作り、

祀ったと言われている。

 

お馴染みの形のモアイが作られるようになったのは、

10世紀頃だと言われている。

 

 

しかし、平和な時代は、

1600年代に入り終わりを迎える。

 

イースター島の人口は増え続け、

この頃には一万人に達しようとしていた。

 

 

そんな人々の生活資源は、

たくさん生えていた木。

 

薪にしたり、家の材料にしたり、

漁に出る船を作ったり、

 

そして、モアイ像を作って運ぶのにも、

木で作ったころ(ローラーのようなもの)が使われた。

 

人々は、どんどん木を伐採していった。

 

 

しかし、モノはいつか無くなるもの。

 

木を切りつくしたせいで、森が無くなり、

そのせいで肥えた土が海に流出し、

土地は痩せていった。

 

こうなると作物が育たなくなり、

爆発的に増えた人間たちを賄うだけの食料が採れなくなる。

 

島は食糧危機に陥った。

 

そのうち、耕作地や漁場の取り合いで、

部族間に武力衝突が起きるようになり、

モアイも作られなくなった。

 

 

抗争は激化し、

住民はついに食人まで行うようになる。

 

部族の守護者であったモアイは引き倒され、

目を粉々に砕かれた。

 

 

こうしてイースター島が大荒れになっている間、

外の世界では、

大航海時代が始まっていた。

 

イースター島にも、

西洋人たちの魔の手が忍び寄っていた。

 

 

まず、1772年、オランダ人のJ・ロッグベーンが西洋人として始めて

イースター島を訪れた。

 

彼は、島は一面草原に覆われていて木がなかったと報告している。

 

島民は草ぶきの小屋や洞窟で原始人的な暮らしをしており、

とても巨大なモアイを建造した民族とは見えなかったという。

 

 

そして、1774年、イギリスのクック船長が島を訪れたときには、

人口は600人程にまで減っており、

まだ武器を持って戦っていた。

 

悲劇は続き、18~19世紀に入ると、

島民は奴隷として連れ出され、

 

さらに、持ち込まれた天然痘などの伝染病により、

島民はどんどん減っていった。

 

そうして、残ったのは、

奴隷として使い物にならない老人、

そして子どもたちであった。

 

 

1872年には、

島には111人しか残っていなかったという。

 

それでも、残された子どもたちは生き残り、

島民の数は4000人にまで戻っている。

 

島に、ようやく平穏な生活が戻ったのである。

 

 

しかし、資源を取りつくして自滅するなんて、

まるで今の地球全体のミニチュアのようだと思う。

 

これは、今の人間への警鐘ではないだろうか。

 

 

まとめ

 

 

いかがだっただろうか。

 

海外旅行へのハードルも低くなった今日この頃。

 

「海外旅行が趣味になってしまった」なんて人もいるのではないだろうか。

 

人気の観光地巡りも、もちろん楽しいだろうが、

どうせなら、歴史や謎が深い所に行って、

密度の高い旅行がしたい人も多いだろう。

 

 

そんな中、

 

謎とロマン、

そして悲劇に彩られたイースター島。

 

 

一生に一度は行ってみたいスポットだと思う。

 

海外旅行の行き先として、

検討してみてはどうだろうか。

 

 

 

フィリピンハーフとしていじめを受けていたケリーは、

フィリピンにある親の土地自転車(サイドカー付)

売っぱらってまで日本にやってきた。

 

俺と同じシイタケ嫌いは

来日から6年経っても健在だ(笑)。

 

 


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移住と一人起業の専門家:DAN

 

 

フィリピン在住の40代独身男。

 

現地でフィリピン人の起業

支援をしつつ、日本人の

海外移住をサポート。

 

東南アジアを中心に世界を

周ることを日常とする。

 

 

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