実は、人は考えているとおりの人物にバッチリなっているということも事実のようです。
先週、新宿のパレットビルで飲んだシゲもそんなことを言っていました。
彼はこのビルにある「天狗」の常連ですが。(笑)
考えてみれば、僕が僕自身であるとはどういうことでしょう。
生まれながらに持っている容姿は、確かに僕の個性だと思います。
まぁ、ありがたいことに健常で人並みの身体ですからたいした個性ではありません。
容姿で言うなら、どんな髪型をしているか、どんな服装を好んでいるか、
体重をどう管理しているか、健康や運動をどう管理しているか、これらはすべて自分自身で考えて決めていて、自分の思いの集大成です。
ひょっとしたら、キラキラした顔やドヨンとした顔など、表情にもそんな思いが映し出されているかも知れません。
今の自分の生活、仕事、結婚しているのか独身なのか、結婚の相手、子供はいるのか、これもほぼ自分が考えて選択してきています。
ピタピタと忍び寄るグローバル化の影響は怖いか、それに対処するためにも海外の友達がほしいのか。
そして、自分の性格。
飽きっぽいのか、我慢強いのか。
明るく挨拶をする人なのか、おとなしくて挨拶も小さな声なのか。
わかっていてもついイライラしてしまうのか、自分のイライラは人にぶつけないようにしようとしている人なのか。
人に何か頼まれるとつい面倒だなと思う人なのか、せっかくだから一生懸命やってあげようと思う人なのか。
他人の足りないことやできていないことを指摘する人なのか、自分が気をつけようと思う人なのか。
完璧主義を治す必要があるのか。それとも、やっぱり完璧主義を治す必要があるのか(笑)。
人に好かれているのか、嫌われている人なのか。
自分のことはまったく振り返らず、傍若無人な人なのか。(笑)
両手をブンブン振り回して、人のほっぺたに当たってるのか。
仕事ができるようになりたいのか、どうでもいいのか。
自分自身わかっていることもあれば、わからないこともあると思います。
でも本当は、人は自分の性格をよく知っていて、そんな自分であることを自ら選択していると言われています。
自分が考えたとおりの人になっているというわけです。
それなら、どんな人が好かれるかも、嫌われるかもよく知っているはずです。
自分が好感を持っている人がどんな人かを見ればいいんですから。
ヒソヒソ噂話をされて嫌われるより好かれたほうがよければ、そんな人になることを選択すればよいことになりますね。
モテるためにも、そして海外移住して安心して暮らせるためにも、
マニラにいるイラン人のアリから指南を受けたほうが良さそうです。
ここらで一発、ドカンと。(笑)
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